ドットのどくご

いつもほんまにありがとうそばにいてくれて

新規からの卒業

この記事はいつから新規じゃなくなるとかそういう定義をしたいわけではなく、自分以外の人を批判したり何か請うたり物申したいわけでもなく、ただ自分の中で「私は新規だから…」っていうのもういいんじゃない?と自分のお尻を叩いてあげたい気持ちになったので書きました。完全に自分用です。まぁここはドットのどくごなので。独語です

 

少し前から書き始めていたのだけど、何度も筆が止まり、その間にも人のブログを読ませてもらったり関ジャニANNでRe:LIVE を聴いたりボク。を読んだりしてうろうろしながら書き進め、着地点を見失っています。独語です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は自覚のある限りでは、2018年4月ごろから関ジャニ∞のことが気になり始め、7月ごろからずぶずぶはまり、9月にFCに入った。それを聞いて、まだ新規ねフフンと思う人もいれば、わー私より先輩だなーと思う人もいれば、そもそも新規だなんだって年数じゃないよと思ってくれる人もいると思う。何も思わない人だっているだろう。そんなの気にしない人が大半な気もする。

 

自分としては…まぁ新規だと思っているのだけど、「私は新規だから…もじもじ」、みたいな気持ちが大半を占めていたときと比べると最近なんだか心持ちが変わったのかなぁ変わってないのかなぁわかんないなぁという感じ。公式さんのコンテンツの関ジャニ∞プレイリストを毎日作っていたとき、「気づけばどっぷり新参者」という名前にしていたのだけど(変な名前笑)、今はその名前使うのもなんか違うかなぁ?と。新規とは思ってるけど新規とは違う気もする。なんだろう。自分も使っているとはいえ……新規って…何??

 

Twitterをしていると自己紹介のとことかでたびたびド新規ですとか、○○年からeighterのまだまだ新規です!みたいな文を見かける。ド新規ですはなんかわかる。おすすめとかいっぱい教えて欲しいことあるし、同じくらいの時期にハマったお友達に見つけてもらいやすそうだしお友達増えたらうれしいし。でも10年15年選手さらにはデビュー前から応援されているような方々へのリスペクトなのか謙遜なのか、私にしたら大先輩の方でも 新規です ということがある。まぁ本来自分が新規かどうかなんて結局主観なので思っている分というか自分で名乗るのはどういうふうでも自由でいいと思うし、ただの定形文のようなものかなと思ったりもするけど、何かについて話すときに、何年も応援していても まだまだ新規なので というフレーズがくっつくとさらに新規のこちらは 「…… 🙂」となる。そのことについて話しにくくなっちゃうというか。立つ瀬がない感じ?文句言ってるんじゃないんです、切ないというか…あぁ…うまく伝えられないなぁ…今書きながら、私がそのフレーズを使うことで私みたいに感じた人もいたかもなーと振り返ってみたり…にほんごむずかしなー

とかなんとか言ってる一方で、「新規だから」というのを免罪符にしている節も私にはある気がする。私にはね。まだまだ山ほどある知らないエピソード。へぇ!わぁ!きゃあ!かわいー!かっこいい!おもしろーい!となることもあれば、後から追うだけじゃ私が言えることはないなとか私が何か言うべきじゃないなとか、単純に事実として入ってくるだけで何もピンとこず言葉が浮かばないこともある。いいな、その瞬間にeighterでいたかったなと思うときもあれば、そのときを経験していたらどうだったんだろうと思いつつもそのときに戻ってみたいとは思わないこともある。今を構成する過去の事実の一つとして存在してくれている、それだけで十分、というか。知りたいと思ったら調べて、何かを感じ取れるなら感じたいし、実際にそうしてそのときに想いを馳せたり興奮したり感銘を受けたりすることはあるけど、そのときのものはやっぱりそのときのものだと思うし、私自身も何から何まで全部を知っていたいわけじゃない。全部を知らなくちゃいけないとも思わない。別に自分の信条?心情?がそうならそれでいいはずなのに、全ての事柄にひとつずつ感想・考察を述べられなければ十分なeighterではない、と自分を締めつけているのだろうか。お得意のねがてぃ部…そうして全ての事柄に対しての頭の中をうまく綴れないからって「新規だから」と免罪符を掲げて…そもそもそんな必要ないのに…十分なeighterってなんやねん……

 

そんななんとなく相反する気持ちを抱えつつ自分のツイートを遡れば、話しにくくなっちゃうとか言えることはないとか言っておきながら、結局そのときそのときに思うことをそのまま呟いている気もするんだけど。

 

以前に比べると新規とかそうじゃないとか関係なーい!という気持ちが大きくなった、というかそんな気にせず楽になった気もする、そう思うのは日々関ジャニ∞さんを応援するなかで、何年応援したからとかそんなんも吹っ飛ばす愛を貰い続けているからかなぁとぼやんと考える。先日の関ジャニANNでもファンになったばかりという方のメールを有難い、嬉しいと喜んでくれていた。Re:LIVEの歌詞には(eightとeighterで紡いだ歌詞だからというのもあるけど)不安で悲しかったときもあった、あの日々なくして、の「日々」を経ての決意が詰まっていながらも、きっと古参も新規も関係なく、「今」「信じてくれた」みんな引っくるめて連れ出すと言ってくれていると思う。(この「信じてくれた」、私は最高にうれしく有難い修飾語だと思った)

 

今彼らのことが大好きで、この先を応援したいと思っていたら、それだけでいいじゃないか。彼らの今までを知りたい気持ちがあるならそのまま、過去を大事に抱きしめたいならそのまま、過去はいいから今とこの先を、ならそれもそのまま。今までの全部を知らなきゃいけないわけじゃない、過去を振り返っちゃいけないわけじゃない、何年応援したからベテラン、何年経っても新規なんてそんなのいいじゃないか。

どれだけ年数を重ねても知らないことなんて山のようにあるし、自分の受け止め方ひとつなのに、年季の入った劣等感の塊なので結局心の中では私はまだまだ新規と思っているのだけど、そんなのつまらんぞ私。新規とかそうじゃないとか関係ないんでしょ私。もっと自信を持ってよ私。人と比べる必要ないんだよ私。

 

 

これを書きながら、なんかタイトルが違うだけでいつも同じようなこと書いて同じような過程を辿ってるなって自分の文章力のなさとぐずぐずした暗さと変化のなさにびっくりしている。なんて面倒な人。ボク。を読んで私も意識してみようって思うことがあってもなかなか現実は難しいです。

 

 

なんとかポジティブに捉えるなら、落ち込むことがあって何度も同じようなぐるぐるにはまっても安田くんをはじめとした関ジャニ∞さんのおかげで態勢を立て直すことができていて、初めの頃に比べると落ち込む深さや立ち直るまでのスパンが少しずつ短くなっている、という感じかな。気づかないほど微々たるものでも一応変化はしてるのかな。そして行き着くところはいつも同じ、彼を、彼らを大好きな気持ちということか。それは揺るぎないということか。

 

 

私は今を生きる安田章大さんが大好き。

 

 

私もあなたもあの子もこの子も関ジャニ∞が大好きなeighter。

 

 

きっとそれだけ。シンプルなこと。

 

 

さてさて。

 

それならばやっぱり、自分から「新規だから」と言うのはやめようかな。やめたいな。慣れていけるかな。向上していきたいな。まとまらないけど今回はここまで。