ドットのどくご

いつもほんまにありがとうそばにいてくれて

LIFEIS にはじめて触れたその日のこと

さぁ。2020年9月24日。

有難いことに発売日当日に「LIFEIS」を手にすることができた。

 

すぐに開封してじっと眺めてはみたもののパラパラめくるのは違う気がして、ご飯を食べてお風呂に入って、まずは更新されたJohnny's webのレンジャー日記を読んだ。表に出したり封印したりしながらずっと安田くんの真ん中にあった「人の幸せは自分の幸せ」の話を優しく語りかけてくれる安田くんの声で脳内再生しながら、ずっとこんな気持ちを大切にしてきた安田くんだから「それぞれの君と」が生み出されるのも自然なことだなとぼんやり思っていた。

 

そして改めて、正座はしていないけど、1人静かな部屋で表紙を開いた。

 

自分が何を感じられるのか楽しみという気持ちになってはいたけど、自分に何か感じられることはあるのか、という気持ちもあった。この写真集を受け取っての自分の心情を人に伝わるように書き表すことはできないし、収められた写真の全てから何かを感じ取り咀嚼できるとも思っていない。この先のラジオやテレビを経て写真集を開いたらまた違うことを感じるかもしれないし、自分の置かれている状況によっても感じることや心に留まる写真はきっと変わるんだろう。安田くんの思いを考察してまとめることもしたくない、こんな拙い言葉を書き連ねるのも迷ったけど、まずは本当に1ページずつめくっていってのファーストインプレッション、初めてのそのままを書き留めておきたいと思った。

 

 

 

以下ネタバレ注意です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中表紙をめくって1枚目、森の十字架の写真が目に入ったとき、これは岡田さんや中島さんが安田くんの伝えたいことを、祈りを、受け取ったよというしるしなのかな、と思った。そこからページをめくっていき、はじめは安田くんの感情を推し量ろうとしている自分がいる気がした。どうして泣いているの?とか喜怒哀楽のどれにも当てはまらないような表情とか。

そこから徐々に音を感じ、温度を感じ、匂いを感じ、触れる感覚があった。無音の音もあった。聴いたことのない、音がするのかも知らない流氷が動く音や雪の冷たさ、涙や太陽の温かさ、毛並みの手触り、風の音、星の音、息の温度、息の音、熊の匂い、燃える音、空気の痛み、無音。

 

安田くんの 憑依する という言葉を思い出しながらため息の漏れる感じ。

 

朽ちたものや骨やリンゴにも死そのものというより輪廻を感じたし、圧倒的に生を感じた。続きの写真で輪廻や生の営みを感じるものもあれば1枚でどんと 生きてる って感じるものもあった。どういうふうかなって私には量りきれないものもあった。どの写真も命に向き合う安田くんが写っているというよりか、ただただ命が写し出されているという感じがした。馬と見つめあって笑う姿はあぁ安田くんだぁと思ったかな。最後の海の写真は死を内包している生という感じがしたな。

 

あとがきの安田くんの言葉、赤裸々に「魅せる」のもIDOLの同音異義語も安田くんだなぁってなった。現実でもSNSでも感じたことのある思いに捉え方のヒントをもらったようでまた救われたな、と思った。

 

そしてミニブック。前日のニュース番組で突然出された写真には思っていたよりショックを受けたんだけど、写真集を全て読み終えてから自分のペースでページをめくっていったミニブックの写真は落ち着いて受け止めることができた。歩いていきたいと思ってくれて本当によかったなと思ったし、弱い自分に気づいた上でこの体験を私たちに共有させてくれた安田くんは本当に果てしなく強くて優しいなと思った。

 

LIFEIS から自分が思っていた以上に 生 を感じて力をもらった。発売前にいろいろともやもや気に病んでどこか怖い気持ちも持っていた自分に大丈夫だよ、大好きな人の表現を真正面から受け止めたらいいんだよ、と言ってあげたい。

 

全てを読み終えた後、岡田さんのインスタで安田くんとのはじまりを知り、以前から安田くんの思いとリンクするような人たちとの出会いが引き寄せられている気がしていたから、出会うべくして出会うだろうという言葉に震えながら、2008年のレンジャー日記も読み返した。そこには変わらず「人の幸せは自分の幸せ」な安田くんが溢れていて、きっと変わらぬ想いも歳を重ねるにつれ、伝え方に幅が広がっていってるんだなとうれしくなった。

 

はじめてはこんな感じ。

 

やっぱり私は安田章大という人が大好きだ。

 

生きてくれて、出会えて、触れられて、うれしい。

 

ありがとう。