ドットのどくご

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マタギと農家

ある年の3月末から11月中頃まで私は専業農家で働いていた。

 

そこに至った経緯はまぁ割愛するけれど、半分望んで、半分致し方なく。でもやると覚悟を決めて飛び込んだ。

 

従事していたその短い期間は本当に本当に大変だったけれど精一杯出来得ることをやっていたと思えるし、少しずついろんなことを覚えて頼まれるのが嬉しかったり、できるようになることに楽しさを感じたり、自分なりにそこから派生してやりたいことを考えたりしていた。日よけのついた帽子や腕カバーやかっぽう着にポシェットかけてそれなりにおしゃれは楽しんでいたし軽トラも限定解除で免許とらせてもらえて運転できるようになって緊張しつつもおもしろかった。とてもいい経験をさせてもらえたと思っている。

 

私は重機の操作はできないけれどそういう機械を使う田おこしや代かきはもちろん、種籾をまいて苗を育てて(田植えできる苗にするまでだけでも、水に浸した種籾をベルトコンベアー使って土と一緒に育苗箱に撒いてそれをひたすらラックに並べてあったかい部屋で管理して発芽したらハウスでお日様に当てて水をやって黄色い苗を緑色に育てて…って地道な作業。とても大変。)、田植えしたら水の管理、肥料やり、田んぼの中に入って草取り、畦道の草刈り、夏が終わって稲刈り前には飛び出てるヒエを先に刈り取って、稲刈りしたら乾燥させて、玄米を袋に詰めていく。覚えてるだけでもこのくらい。比較的大きな専業農家だったので田んぼがあちこちにあって移動だけでもなかなか。トラクターやコンバイン、フォークリフトなど機械もたくさんあるけど人力じゃなきゃどうにもならないところもたくさん。田植えの前の3月4月には水路の掃除、稲刈りの後は籾殻などの粉々だらけの工場の掃除、来年の田んぼのために土の準備、反とか町とか広さの単位も道具の名前も覚えなきゃわからない。泥の田んぼから足が抜けなくて尻餅ついて泥だらけ、乾燥した稲の影響か肌がかゆくなったり、力仕事の連続で知らないうちに指の節は太くなってしまった。日焼けは完全防御により免れていた方だと思うけど知らない人からしたらとても奇妙な格好だったんだろうな。

精米は通年の仕事。30キロの袋を何度も抱えて精米機にはりついて、店に並んでるような5キロ10キロのパッケージの袋にひたすら詰めていた。山のようにたまる糠の整理もしなくちゃいけないし、何十、百単位で詰めるので滑らないようにパレットに上手に並べていくのも決まりがあってコツがいった。

野菜も育てていたから、収穫したら選別して袋詰め。夏はほぼ毎日山のようなインゲンと向き合っていた。やってみるかって言われてよくわからないまま茶豆も作ってた。手作業の収穫はほんと気が遠くなった。

お餅をはじめとした加工品を作る手伝いにあちこちの道の駅や農協への運搬もしていた。

 

今思うとほんとにいろんなことしたなぁ。

 

大変なことばっかりだったけど、軽トラを運転できるようになって、初めて稲の花を知り、朝一番の空気はさわやかで、ピーマンはヘタが六角形のがおいしいって教えてもらって、麹作る手伝いするだけで手の甲がすべすべしっとりになって、整然と袋詰めしたお米や野菜を並べた満足感がたまらなくて、稲の束を鎌で刈る感覚がとても気持ちよくて、黄金色の田んぼがすごく美しくて。

 

きらきらの田んぼ本当にきれいなんだ。

 

 

 

 

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そしてそして。もうひとつ大事な仕事。

 

動物よけのあれこれ。両手を広げなきゃ持てない金物の柵を田んぼの周りに巡らせたり支柱を立てて網をかけたり電柵を張ったり。うっかり電源入ってるワイヤーに触っちゃって電気で身体がドンってなったこともあったな…もっと山の方には猪の罠の檻みたいのも置いてあったりした。流石に熊には出会ったことはないけれど、どこどこで熊が出たって消防団の広報車が回ってたりしたな。

 

もともとは人間が山を開いて動物の場所を奪ってしまったんだろうけど、毎日毎日作業をして作物が成長していくのをみているから、鹿に若葉を食べられたり、猪に稲刈り直前の稲穂をなぎ倒されたりするのはやっぱりすごく悲しくて、明日は倒されませんようにってひん曲がった柵をさし直すのもなんだか力が入った。

 

やっぱり動物は来ないでほしいものだったし単純に怖い気持ちもあった。

 

網に引っかかって暴れる鹿を前にしても「怖いいやだ無理ごめん」だけで何もできないし、国道沿いの田んぼの中に車にはねられたたぬきが倒れていたときもただただ目を逸らしてうぅ…と言っているだけだった。

 

だから安田くんがマタギになりたいと、生き物の命の話をするたび、そんなふうにしか動物のことを捉えていなかったことになんとなく引け目を感じてただ困ってしまう気持ちもどこかにあった。

 

だってみんないただきますを言うとき命を滅ぼしてるという自覚ある?ごちそうさまのときに可能な限り残さないというポリシーはあってもその自覚は私にはなかった。農家の経験によって農作物への感謝は濃くなったし、北海道の伯母から毎年送られてくる玉ねぎが台風被害が酷かった年に真っ黒で湿った皮のまま送られてきたときは涙が出たけど、動物にはやっぱりそういう気持ちを常に抱いているということはないような気がする。

 

マタギの文化のなんたるかを知るのはとても難しいと思うし、ちょちょっと調べただけでしっかり理解することはできないんじゃないかと思う。ただ私が検索して辿り着いたページのひとつ*1には、自然界と人間界をまたいで活動する人、一年を通して春夏秋冬、四季をまたいで山と関わって活動する人のこと、とあった。マタギは自然や動物という分からないものを分からないまま持ち続ける力を持っていて、線引きをするのではなくお互いの領域をまたぎ、にじみの部分を作っていく働きがある、とも。それを読んでなんだかやっぱり奥深くて難しいなと思いながら、マーブル模様が好きな安田くんを思い出した。そしてマタギを生業にしている人たちはいわゆる「生と死の輪廻」の中に存在しているという自覚をきっと強く持っているんだろうなと思ったし、理解しきれてないなりにマタギの精神みたいなのがそのまま安田くんのようだなとも思った。

 

そのページには、マタギとハンターとの一番の違いとして猟に出て獲物がとれなかったときの考え方も挙げられていて、

マタギは獲れなくても「残念」ではなく、獲物は全て山の神様が授けてくれるものだと考えている。

ということが書いてあった。私が出会った数少ない猟をするおじちゃんたちはいわゆる害獣は駆除(言葉の選択がどうかは置いておいてこれは実際問題必要なことだと思う)、田植えや稲刈りを労う飲み会に稀に出てきたシシや鹿も酒盛りの肴という感じだったように思う。酒盛りひとつとっても山の神様の恵みである命をいただくと感じているという印象はもたなかった。おじちゃんたちのほんとの心構えは私にはわからないし、本当にごくごく少ない私が出会った人に限られるけど。そもそも私自身が違いを理解できているわけでもないし、マタギだからどう猟師だからどうと言っているわけでも全くない。ただ自分が見聞きしたそういうのも含めた上で猟師じゃなくてマタギになりたいというところがまた安田くんだなと思った。いつも一緒のあのクマも、自然と共生するアイヌの人が敬意を持っている生き物で木の厄除の力とそんなクマの力を自分の中に取り入れられたら、とお守りにしているってメンノンで言ってたしな。

 

そんな安田くんには遠く及ばないけど、

知れば果てしなく心の宇宙が広がる、知れば世界の見え方は変わる

そう安田くんが言ってくれるから、命をいただくことは命を滅ぼすことと理解して、共存して生きるという考え方も自分の隅っこに置いておきたいなと思う。だけど常に意識するのはまだまだ難しいなとも思う。安田くんはきっと経験と彼なりの学びを経た上でマタギになりたいと話し、生かさせていただいてるという捉え方に辿り着いたんだろうな。それは病気や怪我という経験だけじゃないだろうけど、それの占める割合はやっぱり大きいんだろうなとも思う。そこに思いが至るとまた違うループに入ってしまうから今は留めておく。

 

今はただ生きとし生けるもの有機物無機物共存する全ての命を大切にしてそれをいただくその始まりの行為から知ろうとする安田くんのその姿勢が果てしなく眩しい。そんな安田くんを本当に尊敬する。

という話。

 

『LIFEIS』ではそうして命に向き合う安田くんを感じられるのかな。

 

生と死の輪廻とか闘病写真集とか言葉のインパクトに動揺してどんな心持ちでいればいいのかと複雑になったりしていたけど、ananの対談や先行カットで死を際立たせるのではなく、生に重きを置いてというか、生の輪郭をそっと色濃く描くように意識されているのかなと感じてだいぶ心が落ち着いて、誰かの背中を少しでも押すことのできる本という安田くんの言葉も思い出し、前向きに生命に触れられる気がして、安田くんの表現に触れたいという気持ちがあればきっとそれでいいんだと思えた。自分が何を感じとれるのか本当に待ち遠しい。

 

 

ちょっとずつ。

 

 

2020年9月24日までもう少し。