ドットのどくご

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色つき眼鏡の向こう側

安田くんの朝日新聞での連載

「患者を生きるシリーズ特別編 安田章大と色つき眼鏡」(2021年1月25日〜29日)

 

連載初日の2日前、この突然のお知らせにまず、新聞という媒体しかも全国紙で安田くんの話が取り上げられることになんとも言えない感慨を覚えた。連載が安田章大写真集LIFEISに合わせて前から決まっていたことなのか、LIFEISを受けて決まったことなのかはわからないけど、安田くんが共有したい、寄り添いたいと直向きに取り組んできたことがまたひとつ実を結んだような気がして。安田くんが届けたいと思う誰かへ繋がる糸がまた一本増えた気がして。

そして連載のタイトルにある「色つき眼鏡」。現実に安田くんの生活から離れられない存在となった色つき眼鏡。時に煩わしくもなるであろう眼鏡。だけど安田くんを守ってくれる大事な眼鏡。世間から色眼鏡でみられることもある世界で生きていて、色つき眼鏡をかけていることでおそらくよりそんなふうにみられることもある、安田くんはきっとそのこともちゃんと自覚しているんだろうなとか。∞ o'clock 19の歌詞とか。安田くんが楽しみを持って眼鏡と向き合っているよって教えてくれるのがなんだかうれしいんだよなとか。あっちこっちいろいろな思いが渦巻いたけど、最後には色つき眼鏡があろうとなかろうとまっすぐな瞳で目の前の物事を見つめる安田くんが浮かんで、「安田章大と色つき眼鏡」、いいタイトルだ、となんだかすーっと胸のすく思いがした。

安田くんよかったねって。

LIFEISが発売されることが発表されて、この本の存在を周りに伝えてくれるといいなという安田くんのお願いごとにすっきりと応えられなくてしんどかったあのとき。ニュース番組で思わず後遺症の詳細を知ることとなり、どうしようもないことなんだけど自分は何も考えずに、ステージに立つ安田くんの姿をDVDで観ていたのかとただただ恐ろしかったあのとき。あのときと今はなにか心持ちが違う気がする。

 

以前から購読している朝日新聞のこの「患者を生きる」シリーズの記事の特性上、医療的なこともなかなか詳細に書かれているだろうし改めて衝撃を受けるだろうことは予測していた。それに加えて、安田くんが届けてくれるものに触れられるドキドキに、既に知っているはずのことも今回初めて知るかもしれないこともどんなふうに表現されるんだろう、どんな記事だろうというドキドキやら、まだ安田くんを知らないたくさんの人たちも読む新聞に載るというドキドキやらで今までとなんとなく違う不思議な気持ちだった。

 

1月25日の朝。届いた新聞を手に取った。朝日新聞という題字の下のインデックスに安田くんの姿をみとめ、そっと生活面のページを開いた。

 

より大きくページが割かれている連載初日の「患者を生きる」。そこに載っている安田くん。

 

まず思ったのは  かっこいい  だった。

 

変わらず整った目鼻立ちも、まっすぐ記者さんを見つめる視線も、しっかり相手と向き合って会話しているのがわかる首の傾きも、淡々と、でも真摯に語っているのが伝わってくる佇まいも。

 

やはり異変に気づいたきっかけから病院でのやり取りは今まで話してきてくれた以上に詳しく書かれていた。この爆弾を抱えたまま表に立っていたという、奇跡と言ってしまいたくなる事実や実際のパフォーマンス中にぶっ倒れるようなことがなかった安堵さえ軽々と超えるとんでもない恐怖は拭えない。事情を知らされることなく一緒に仕事をして多くの時間を過ごし、後になってそれを知ることになったメンバーや、極秘で感情を表に出さず動かなければならなかったマネージャーさんや周りの人の気持ちを思うと言葉も出ない。ご家族の心情は言うまでもなく。当時リアルタイムで応援していたわけではないけれど、どれだけ思い返してもやっぱりとても恐ろしい。

 

ただ、淡々と綴られていく衝撃の大きい事実だけれど、新聞だからか比較的冷静に受け止められている気がするな、とぼんやり思った。重い片頭痛を抱えるお父さんの症状の軽減、治療に役立てばという思いもあって受診したんじゃないかなという勝手な妄想をして安田くんらしいなと思ったり。なんだか思っていたより落ち着いて記事を読んでいる自分がいたように思う。

 

それでも2日目以降も続く当時の描写は、やっぱり事実としてとても重いし、理解しているつもりでも言葉を失ってしまうところはある。だけどあまり感情的になることなく受け止められている気がする。医療者の端くれで世間より少し医療の言葉に馴染みがあって少し知識もあるはずなのに、よいか悪いか何年経っても命、生活、人生の変化に関わることを決めなきゃいけない瞬間には慣れなかったり、しばしば本人や周りに感情移入しすぎるのがあかんとこだと思っている私にしては。

 

今、生きていてくれてよかったはもちろんで。産んでくれた、育ててくれた両親が4人いて、写真を一緒に見返しながら静かなトーンで会話をして、お手紙を書いてすき焼きをもらって。ずっと続いてる安田くんの生活を感じ取らせてもらってる気がする。心がピンと張りつめる状況の合間に綴られる何気ないやりとりがあったかい。後で事実を知って激昂した人もいるというメンバーとのメールも、退院直後の仕事だった会見中そっと背中をさすって支えてくれていたことも、安田くんの生活の中にメンバーがいて、お互いの人生にお互いの存在が大きく占めているんだろうなぁと、なんかいいなぁ、よかったなぁと思う。

 

そして、まだ術後間もなくても「最短で動きます」と言う意志があって、腫れて変化していく顔を生きている証拠とおもしろく思える。改めてどこまでも安田くんは安田くんだなぁと思う。安田くん好きだ。

 

前にインスタグラムで、どなたによるものか#色眼鏡の向こう側というハッシュタグのついたわんちゃんとの愛に溢れる写真をみせてくれたけど、安田くんのその色つき眼鏡の向こう側にはわんちゃんがいてメンバーがいて大切に思い合う人たちがいて。多くの人に自分の経験を伝えられる立場という意味では特別かもしれない。眼鏡の有無とかじゃなくてこの数年の経験を通して、より意識的にクリアに物事を捉えるようになったのかもしれない。制限されることが前より増えたって、学びを重ねてその先にまた夢をみる姿にはただただ尊敬しかない。でもその色つき眼鏡の向こう側に特別なものがみえてるわけじゃないんだろうな。きっと。

LIFEISの発売が発表された時からずっとどこかにあった、自分は安田くんが届けたいと思う誰かではないという気持ち。だけど、実際にLIFEISを受け取らせてもらって、命とか生に重きが置かれていることを体感して、シンプルにエネルギーをもらった。

安田くんはある日病気がわかって手術をして今もおそらく心身ともにしんどかったりもどかしかったりするときがあって、こちらが心配してしまう事象を抱えていて自分でも不安になっちゃう日もある、でもアイドルとしてキラキラ生きてる、だけどくさくさしちゃうときもある。毎日頑張ってて、でも頑張れないときもきっとある。安田くんのことは安田くんにしかわからないし、安田くん自身だってわからないときもあるでしょう。特別なようで特別じゃなくて、安田くんの場合はそんなふう。というのを日々みせてくれている。IDOLでただの人、か。ほんとだ。

安田くんが届けたいというのは、同じように病気を抱えてる人とか、良い未来を感じられずにいる人とかどこか対象が限定されてるわけじゃなくて(もちろんピンポイントで届けと思う気持ちも大きくあると思うしそこへ届いて力をもらっている人も絶対いる)、受け取る側の、今生きてる「私」、が自分やすぐ隣の人の

それぞれあなたを生きて 

を考えて動くきっかけになればってことなのかなって自分なりに腑に落ちた感じ。アイドルだからこそ、ってどうしてそんなに思ってくれるんだろうって考え始めると果てしなくなってしまうけど、この先も自分なりに小さな気づきを重ねて今より少し自分を大事にできたらいいなぁと思う。そして安田くんにも同じことを思ったりする。健やかに幸せでいてほしい。

 

うまく説明できないけど、安田くんはどんなふうに捉えてもそうなんやぁって耳を傾けてくれそうだな、なんて思いながら、今までとは心持ちがなんとなく違うと感じたのは、

経験を共有して、少しでも誰かの背中を押すことができたら

という安田くんの思いを私なりにちょっとは理解して受け取れるようになってきたってことなのかな、おこがましくも前よりも少しだけ安田くんに近づいたところに立てているのかななんて思ったりした。

 

 

 

いや、やっぱりそれはだいぶおこがましいか。

 

 

 

どこからでも応援してます。

連載ありがとうございました。