ドットのどくご

いつもほんまにありがとうそばにいてくれて

BAROMETZで呼び起こされた記憶

2020年‪8月26日に発売になった安藤裕子の久しぶりのフルアルバム。

『BAROMETZ』

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正直なところ今の私は関ジャニ∞さんのことでほぼいっぱいで、そこから新たに開かれたところにも気になる音楽がありすぎて自分の容量が足りなくてこのアルバムをなかなか買えずにいた。さらに正直に言ってしまうと小編成のブルーノートでのライブやアコースティックライブには行っていたのだけど、自主制作された前作「ITALAN」、このミニアルバムの曲が私にはなんだか苦しくてどう受け止めればよいのかわからず、今回はどうなんだろう、と少し躊躇う気持ちがあった。先日、Love Musicで歌う姿を観てやっぱり聴きたいな、手元に欲しいなという気持ちがふっと湧いてやっとぽちり。

 

手記付きの限定盤にしてよかった。これという理由は浮かばないけれど2011年頃から2015年のアルバム「あなたが寝てる間に」のちょっと前まで私は安藤裕子から少し離れていた。このアルバムに収録されているたまたま耳にした数曲が馴染んでなんとなくまた触れたくなり、CDを買い、ライブに行った。やっぱりいいな、と思って(次のアルバム「頂き物」のコンセプトはなんだか少し慣れなかったけど)、その頃ちょうどどこかへ旅に行きたいという気持ちや震災のその後をこの目で見ておきたいという気持ちがあったのもあり、遠く仙台のアコースティックライブへ行った。

 

そこで聴いたアメリカンリバーが泣けて仕方なかった。私自身、環境を変えざるを得なくなってそれから1年程して慣れてきた‬気がしていた頃。慣れもありなんとなく無為に過ぎてしまうことが増えていた頃。

 

 

私は大丈夫 あなたも大丈夫よ

 

 

そう言い聞かせるように歌う彼女に涙が止まらなかった。

 

同じような心でいたんだな。

 

こちらの勝手な解釈だけど、今回手記を読んで改めてそう思った。

 

曲が作れないと苦しんでいた様子の彼女がなんとか自分に歌ってあげられた歌詞、その言葉が私の心も掬ってくれた。

 

「あなたが寝てる間に」で久しぶりに安藤裕子の歌を聴き、そこから離れていたときに発売されたアルバムもまとめて聴いていた。「JAPANESE POP」ちょっと後くらいまでの私がたくさん触れていた時期の彼女とは少し違っていたけれど聴き込むうちにゆっくり心に刺さっていく感じだった。後からその頃の彼女に出産、震災、祖母の死等、いろんな出来事が重なっていたことを知り、この頃から苦しい気持ちはどこかにずっとあったのかなというのをなんとなく感じた。私自身を振り返れば彼女から離れていた期間は私の中に新しい曲たちに振り分けるスペースがなかったように思う。きっとその当時には聴けなかった。後になって聴いたから振り返ることができた。自分が渦中にいるときに救われたり、後から思い起こすときに寄り添ってもらったり、曲と出会うタイミングってやっぱりあるんじゃないかなと思う。リンクというのとは違うのかもしれないけど、同じようにもがいてあがいていたのかなと落ち着いた心で思えた。手記で、それらしいことを描くのに慣れ過ぎた、恥ずべき態度で歌って作品の魂を汚したと書いていたけれど、それらしいから、だからきっと私は彼女の歌にどこか通じるものを感じ、確かに彼女の歌に寄り添ってもらって、ともに生きてきたんだなと思うし、そのときの曲にも歌声にも私は力をもらっていた。オンタイムで聴いていたわけではなくても。初期の曲も離れていた間の曲もどちらにも。

 

そして「ITALAN」で脆さを抱えながらも彼女自身がワクワクを取り戻してくれたから、また歌を届けてくれる今がある。安藤裕子が またあいたいっていいたいです と言ってくれてよかったなと思う。「BAROMETZ」のなかでは 曇りの空に君が消えた が好き。私は彼女の伸びやかな声が大好きだ。彼女の今を恐る恐る思いながらこの新しいアルバムを聴いたけど、どこかすっきりしたものも感じられてよかった。折につけこのアルバムを聞くたびきっと心にひっかかる曲も変わるだろうことも楽しみ。これからも大切に曲を紡いで歌っていってほしいなと思うし、私のペースでのんびり触れていたい。

 

楽しいことをいたしましょう、ね。