ドットのどくご

いつもほんまにありがとうそばにいてくれて

おれ混じりのボク。を読んだ

MERCH MARKET 2020の関ジャニ∞のテントが公開されてぬいの毛布やアクスタに私もみんなもわくわく浮足立っていた5月22日のお昼過ぎ、久しぶりに更新された安田くんのボク。

 

冒頭の文章に少し身構えてしまったけど、すぐにそりゃそうだよなという気持ちになった。そしてそのあとに出てきた気持ちはごめんね。

 

ごめんね?

 

なんでだろう。わからない。頭を整理したくなりこれを書いてみることにした。

 

安田くんが申し訳なさそうに前置きをして伝えてくれたLIVEがしたいという気持ち。うんうんわかるよ、LIVEしたいよね、私もLIVE行きたいよ。そうやって共感していつかの楽しみに気持ちを高揚させることだってできるのに。

単純にそうならなかったのはそのあとに続いた、今まで聞くことのなかった(と思う)過去の歴史についての安田くんの言葉があったから。

 

7人が6人になって5人になった関ジャニ∞

 

7人が6人になる衝撃は私は世間一般の関ジャニ∞を知っている一人としてニュースを聞いてのそれ、だけだったのでその当時のご本人たちはもちろん、eighterの気持ちを量り知ることはできないしなんとも言えない。(横山くんにはもらい泣きしたし安田くんがいないことは心に引っかかったけど)

 

だけどそれから程なくして沼に落ち、6人になってからの雑誌のインタビューなどを読んで、彼らはその時点でその時なりに咀嚼し消化し、少し不安定ながらもやるしかないという気持ちで前を向いているのだと勝手に思っていた。強いな。私も彼らを応援するだけだと。

5人になることがわかってからもずっと、ラジオやテレビやwebで言葉をもらう度、5人がひとかたまりになって笑ったり熱のこもった声で歌を届けてくれる度、彼らは言いようのない気持ちを乗り越えてまた私たちの少し先に立っていてくれるんだと勝手に思っていた。本当に強い人たち。ずっと応援させてねと。

 

違った。そんなの少し考えたらわかること。1年2年前に彼らを好きになっただけの私より当事者の彼らはずっとずっと苦しくて悔しくて簡単に納得なんかできなくて先だって何も見えないままだったと思う。

なのに、みんなの少し前にいるよって、あの場所に連れていくよ、って言ってくれた。

言わせてしまっていたのか、と思った。微笑む努力も強いフリもさせていたのか、と。

 

だからごめんね。

 

ごめんねって。あんたが謝ってどうすんねん、とかおまえどんな立ち位置やねんとか、半分流れる大阪の血がツッコミまくってくる。(大阪だからってなんでもつっこむわけじゃないという苦情は受け付けます)自分でもおこがましいなと思う。でも出てきてしまったんだ。少し前に立っていることもあの場所に連れていきたい気持ちも義理とか建前じゃなく心からそう思ってくれてるのはわかってる。それでも無理をさせてしまったという気持ちが膨らんで落ち込んだ。

 

そうして沈み、重さで張り裂けそうになりながら読み進めていったボク。

 

そのあと出てきた気持ちはありがとうだった。

 

微笑む努力をして、強いフリをして、それでも、って私たちに届けたいことがある、一緒にしたいことがある、と未来の話をしてくれたから。シンプルで純粋な希望の言葉を伝えてくれたから。強いだけの人なんていないし、何の傷もない人もいない。みんな何かを抱えててそれぞれに折り合いをつけながら生きてる。安田くんの言葉に触れると、何をどうしたらこんな風に全てを慈しみ達観した考えを持って生きられるんだろうって思うことが度々あるけど今日のボク。はみんな同じだな。って思えて少し安心して少し身近に感じられた。(個人的感想です)

 

そしてやっぱり私は安田くんを、関ジャニ∞を応援していたいと思った。

 

7人の、でも6人の、でも5人のでもなく『関ジャニ∞』が大好きだと思った。

 

ポジティブな気持ちに着地できたよ。

 

安田くん読ませてくれて有難う。