ドットのどくご

いつもほんまにありがとうそばにいてくれて

安田くんと海。海の安田くん。

※2020年6月14日のボク。を読み、大好きなフォロワーさんの「自分にしっくりくる言葉が誰かを傷付けてしまうかも」という旨のツイートを読んで(勝手に引き合いに出してごめんなさい)、自分の中にもそんな気持ちがあるような気がして、少したってなお自分の中を巡る気持ちを書き留めておきたいと思って書きました。多分に偏った個人的な解釈です。彼女のしっくりくる言葉とは全く別物ですし、この記事に綴る言葉が自分にしっくりくる言葉なのかもわかりません。

 

※公開はしていますがTwitterにリンクを貼り付けることはせず、あくまで自分の気持ちを吐露させてもらったものなので、もしふとした折に意図せずこの記事に辿り着いた方がいらっしゃったら不快な気持ちにさせてしまう可能性があることを理解した上で進んでいただければ幸いです。

 

※勢いで書いていることご了承下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海の上で笑う安田くんのボク。を読んで、直後は今までとは少し違って、ずんとはなりつつも笑顔の写真に満たされてうれしい気持ちが勝り、うんうんうん、海に潜ることがなくなったって今もこんなに素敵な人たちに囲まれて、海での素晴らしい経験を持っていることもできて、なによりこんな最高の笑顔をありがとう、という気持ちが大半だったのだけど心のどこかに落ち着いて受け止めているような落ち着かないようなやっぱり落ち着いているようななんともいえない感情が残っており今これを書いています。(一文が長い)

 

 

たぶんこの気持ちの出所は「海に還る」

還る。

 

 

辞書を引くと、

様々な過程を経て根源の場所に戻ること

ぐぐってみると、

「かえる」動作の途中に一定のサイクルがある

 

 

私が初めに持った「還る」のイメージも「土に還る」とか「自然に還る」とか。まぁそういう感じです。要は安田くんの体がなくなって魂が海に還るというイメージをしてしまった。

 

Twitterでも少し書いたけど、臨床実習であなたは感情移入しすぎると言われ、実際その実習後のセミナーで発表する時、自分で作ったパワポのスライドを見ながらぽろぽろ泣いてしまったような私だからおそらく、もう潜れないと知ってから海の話を聞くたびにどうしてもなんで、悲しい、かわいそう、悔しいが先に出てきてしまっていた。(この事実を知らされた人は大半がそうなるとは思う。)その前提があって「還る」という字を見たからか、どうして「還る」なんだろうって思ってしまった。まだまだ還らないでよ、、とも。

 

安田くんややすくん(安田くんに則ります)がこの会話をしたのはおそらくリモート飲みでやすくんがこの漢字で伝えてくれたというよりは安田くんが意図してこの漢字でボク。に綴ってくれたのかなぁと思う。いやそれより前からやすくんはメールとかお手紙とかで伝えてくれていたかもしれないしわからないんだけど。

 

安田くんは以前からメメント・モリとか命の繋がりなど度々ボク。に綴ってくれているので、「還る」という漢字を使うのは自然なことなのかもしれない。海に関する話ならなおさら。シンプルに海の中に入りたい潜りたいというだけかもしれないし、「還る」とするほど海が安田くんにとって原点となる場所なのかもしれない。そもそもこんなふうに裏を探るような捉え方をしてしまうことは意味がないことというか安田くんの本意じゃないんだろうと思う。こうして書いてこの後公開ボタンを押そうとしていることがいいのかどうかもわからない。

 

わからないことだらけ。

 

ただ今回のボク。を読んだ直後、そういうもやもやした気持ちよりも笑顔最高、素敵な人に囲まれていてよかった、安田くん大好きだという気持ちでいっぱいになれたのは本当に本当。それはやっぱりずっと何度も海の話を丁寧にしてきてくれたからかなと思う。事実は事実として伝えながらそれでも、心が歩みたい方へ、心が喜ぶ方へ、滾る方へ、と伝え続けてくれているから。悔しくて涙が出る日もあると思うけど、嬉しい涙の話も教えてくれる。私たちが事実を知って悲しい悔しい気持ちになることもきっと理解してそれでいて押し付けるでなく寄り添って海の話をし続けてくれる。海や自然への思いを伝えてくれて命を燃やして生きることを伝えてくれる。

 

 

安田くんの心が広い広い海のよう。

 

 

これからもこの海を漂っていたい。

 

 

そしてただ、彼らの大きな約束を想い、祈る。